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	<title>essay - chu kosaka web site</title>
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	<modified>2010-09-07T23:47:39Z</modified>
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		<name>TORA MUSIC co.,ltd.</name>
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	<copyright>Copyright 2010, TORA MUSIC co.,ltd.</copyright>
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		<title>『掲げよう』</title>
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		<content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<b style="font-size:1.5em">ど</b>うなってしまったんだろう。長寿世界一と言われる日本で生存確認の出来ない百歳以上のお年寄りが何百人もいるという。これでは長寿世界一に信憑性がなくなってしまった。どうして、なんで国が把握できないのか、役所は何をやっているのか。厚労省によると３０年前には百歳以上のお年寄りは千人に満たなかった。それが今や４万人を超えている。でもそれは机上の統計であって実態ではないとするなら実態はどうなのか、どうしたら実態を知る事が出来るのか。僕たちは何を信じたらいいのか、という事になる。<br />消えた年金が問題にされたのも最近の事だ。国がやる事に間違いはないと信頼して払い続けてきた年金。それが記録から消えていた。この国では色んなものが突然消えてしまうのだ。<br /><br /><b style="font-size:1.5em">名</b>古屋の野外フェスで昔からのファンだという人に出会った。暑いのでスターバックスに避難し涼をとっていた時だった。入ってこられた50代の御夫婦が僕を見つけて突然話しかけてこられた。僕のクリスチャンになってからの「空白の25年」について聞いてこられたので、自然に救いの証しをする事になった。<br />ある大学の哲学科の教授をしておられたその方は「自分は宗教とは縁がない」と言われたので、僕は「それが日本をだめにしているのだ」と返した。<br />その人が何を信じ、どのような価値基準を持っているかは人間関係の中で大事な要素だ。僕はキリスト教という宗教を伝えたいのではない。キリストを伝えたいのだ。<br /><br /><img src="images/100831.jpg" width="445" height="400" border="0" alt="" /><br /><br /><b style="font-size:1.5em">キ</b>リストは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」<br />キリストを知る事は道を知る事であり、真理を知る事であり、いのちを持つ事なのだ。信じられない事の多い今の時代に、キリストを知る事がどんなに希望をもたらすだろうか。国は希望に満ちた将来への道を示してくれないし、政治家の活動に真理は見えない。この国の将来に希望を与えるのはキリスト以外にないと僕は信じている。毎日のように変化していく時代に変わらない真理を持っている事がどんなに安心を与えるだろう。<br />出版社は聖書の特集を組むが、それもビジネスでしかない。なぜキリストを知っているクリスチャンが伝えないのか。今こそ世に向かって光を掲げる時だ。いつまでも升の下に置いてはいけない。世界が光を求めているのだから。<br />]]></content>
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		<issued>2010-08-31T00:00:00Z</issued>
		<modified>2010-08-31T00:00:00Z</modified>
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		<title>『地の塩、世の光』</title>
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		<content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<b style="font-size:1.5em">先</b>日、新潮社の方から季刊誌へのアンケート記事を依頼された。この編集者の方が私の音楽ファンの一人であった。新潮社が出版している季刊誌「考える人」で「初めて読む聖書」という特集が組まれ、その中に３３人の作家、エッセイスト、哲学者、評論家などに混じってミュージシャン、牧師として私の名が上がったのだ。「最も印象に残る聖書の言葉」を４００字でまとめるという依頼だった。私はイザヤ書４３章の「私の目にあなたは高価で尊い」を選んだ。旅行から帰ると出来上がった本が届いていた。早速読んでみたら興味深い事がたくさんあった。依頼を受けた時には深く考えもしないで引き受けたのだが、日本でキリスト教が広まらない一因を感じさせられた気がした。確かに聖書はクリスチャンであるか否かに関わらず多くの人に読まれているのだ。しかし、多くの場合は信仰の書としてではなく教養として読まれているのだという事をあらためて教えられた。多くの人が学問として聖書に向かっているのだ。それに比べ自分は何と素直に聖書を信じられたのだろうと思った。<br /><img src="images/2010005.jpg" width="462" height="653" border="0" alt="" /><br /><b style="font-size:1.5em">も</b>う一つは折角のこういった特集にクリスチャンの出番が少ないと言うことだ。これはひとえにクリスチャンの社会的な影響力が乏しいことを表しているのではないだろうか。教会という同信の集まりの中で、輝きを競い、塩気を発揮する事に満足してはならない。だから教会は居心地が悪くなるのだ。お互いが相手の目の中の塵を探している。だから魅力がないのだと思う。<br />イギリスではテレビのコメンテイターとして牧師が登場する事があるという。日本とは大違いだ。<br /><br /><b style="font-size:1.5em">先</b>日、４年ぶりに休暇をとって娘のいるロスアンジェルスに行ってきた。帰る前日の夜に娘の家の隣人からお茶の誘いを受けて楽しい交わりの時を持った。その方はヨルダン人のクリスチャンだった。ヨルダンでは１０％のクリスチャンがいるのだという。ヨルダンでは少数派だがクリスチャンはしっかりと地の塩、世の光となっているという。日本のクリスチャンも少数派だが地の塩、世の光となっていると高々と言える日が早く来てほしいものだ。<br />初代教会は使徒２：４７にあるように「すべての民に好意を持たれ」ていた。それは教会が社会に対して閉ざされたところではなく開かれたところであったということだろう。社会との関係を持っていなければ好意を持たれることもないはずだから。たった４００字ではあるけれど、これが開かれた事が大きいのだと思っている。<br />]]></content>
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		<issued>2010-05-11T00:00:00Z</issued>
		<modified>2010-05-11T00:00:00Z</modified>
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