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2009年8月 4日, 火曜日

『勇気』

7月8,9日にかけて開港150年のイベントで賑わう横浜の会議場で日本にプロテスタントの宣教が開始されて150年を記念した大会があった。これはプロテスタントの諸教派が集まって50年毎に開催しているイベントなので、次に開催されるのは50年後の2059年と言うことになる。ということは私は当然その時には存在していないと思われるので、私にとって生涯に一度しかないイベントと言うことになる。そこで歌うことが出来たのは光栄であった。
この2日間を通して私は最後の礼拝の中で語られた25歳の若い牧師の証しが心に残った。彼が開拓をする教会の高校生の証しだ。その救われたばかりの高校生は証しをしたいからという理由で生徒会長に立候補し、全校生徒の前で証しをした。その勇気ある行動は高校生の心を動かし多くの学生が救われたという証しだった。私もその高校生の勇気に感動した。

えてみれば「勇気」こそ大会の最大のテーマではないかと私は思った。いまだキリシタン禁制の高札が立つ日本に来て福音を伝える勇気。この日本で福音を信じクリスチャンになる勇気。この国は約400年に渡ってキリスト教を排除してきた歴史がある。「宗門改め」「宗旨人別長」「寺請け制」「五人組制」「キリシタン類族改め」など、私たちが日本史で学んできたこれらの律法が日本からキリスト教を排除する事を目的としていたことなど学校では教えられなかった。400年の長い歴史の中で、日本人の心に植え付けられたキリスト教への負の力があることを否定できない。「和を持って尊きと成す」という日本でクリスチャンになるということは実に勇気ある決断なのだと思う。

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谷種吉と言う日本で最初の音楽伝道者がいた。彼はアコーディオンを弾きながら町を歩き回り、福音を伝えた。そんな彼に浴びせられた愚弄する言葉。言葉だけではない、石が投げられたこともあった。それでもひるむことなく福音を伝えた音楽伝道者がいたのだ。このような勇気が日本の宣教を支えてきたのだ。
かつてイエス・キリストを死刑に定めた同じエルサレムの議会でペテロは聖霊に満たされて語った。「この方以外には、誰によっても救いはありません。」
何と言う勇気だろう。この勇気が今の自分に、今の教会に、今の日本に必要なのだ。

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