Menu

2008年2月28日, 木曜日

「強くあれ、雄々しくあれ」

が変わっても相変わらず暗いニュースが駆け回っている。株価が暴落し、円高が加速し、かつてないガソリンの高値、鉱物資源の値上がり、食品原材料の高騰、日本の経済は闇に向かって一直線という感じだ。政治も混沌としている。衆参のねじれ現象で進まない国会運営、消えた年金問題、広がる格差社会、汚職…と、こんな暗いニュースばかりに接していると、こちらの気持ちまでもが暗くなってしまう。こんな時代に私たちはどこに希望の光を見いだせるのだろうか。それは聖書しかない。聖書は言っている。
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)と。
年末に部屋をかたづけていたらイスラエルで買った置物が出てきた。たぶん私が初めて聖地に旅行した時に買った物だ。二人が一房の葡萄を担いでいる。これを見たとき、これが乳と蜜との流れる地、約束の地にある神の祝福なのだと感動して購入したのだった。指導者、モーセは神に導かれて、神が民を導き入れようとしているカナンの地を探るために12人を遣わした。彼らは行って乳と蜜との流れる地を探ってきた。その時にエシュコルの谷で一房の葡萄を切り取り、二人がかりでそれを担いで帰ってきた(民数記13章)という記事を表している。
080228.jpg
野を40年もさまよったイスラエルの民にとって、その一房の葡萄はどんな意味を持っていたのだろうか。荒野においても神の祝福はあった。神は食べるマナを与え、肉を与えられた。確かに神の祝福は足りないことはなかった。しかし、そこに安住してしまうことは神の目的ではない。神が導き入れようとしている約束の地はもっと祝福に満ちているのだ。一房の葡萄は民を導くために、神が見せようとされたビジョンだと私は思う。そのビジョンから目を離さなかったのがモーセの後にカナンの地へと民を導いた指導者ヨシュアだった。神はヨシュアに言われた。
「強くあれ。雄々しくあれ」(ヨシュア記1章)
私たちは暗いニュースに恐れおののいてはならない。現状に怯えてはならない。ビジョンを見失う事なく、いつも変わらない神の御言葉の光に導かれて勇気を持って前進しよう。

コンテンツ

FontSizeSelect

管理者用