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2010年8月31日, 火曜日

『掲げよう』

うなってしまったんだろう。長寿世界一と言われる日本で生存確認の出来ない百歳以上のお年寄りが何百人もいるという。これでは長寿世界一に信憑性がなくなってしまった。どうして、なんで国が把握できないのか、役所は何をやっているのか。厚労省によると30年前には百歳以上のお年寄りは千人に満たなかった。それが今や4万人を超えている。でもそれは机上の統計であって実態ではないとするなら実態はどうなのか、どうしたら実態を知る事が出来るのか。僕たちは何を信じたらいいのか、という事になる。
消えた年金が問題にされたのも最近の事だ。国がやる事に間違いはないと信頼して払い続けてきた年金。それが記録から消えていた。この国では色んなものが突然消えてしまうのだ。

古屋の野外フェスで昔からのファンだという人に出会った。暑いのでスターバックスに避難し涼をとっていた時だった。入ってこられた50代の御夫婦が僕を見つけて突然話しかけてこられた。僕のクリスチャンになってからの「空白の25年」について聞いてこられたので、自然に救いの証しをする事になった。
ある大学の哲学科の教授をしておられたその方は「自分は宗教とは縁がない」と言われたので、僕は「それが日本をだめにしているのだ」と返した。
その人が何を信じ、どのような価値基準を持っているかは人間関係の中で大事な要素だ。僕はキリスト教という宗教を伝えたいのではない。キリストを伝えたいのだ。

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リストは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」
キリストを知る事は道を知る事であり、真理を知る事であり、いのちを持つ事なのだ。信じられない事の多い今の時代に、キリストを知る事がどんなに希望をもたらすだろうか。国は希望に満ちた将来への道を示してくれないし、政治家の活動に真理は見えない。この国の将来に希望を与えるのはキリスト以外にないと僕は信じている。毎日のように変化していく時代に変わらない真理を持っている事がどんなに安心を与えるだろう。
出版社は聖書の特集を組むが、それもビジネスでしかない。なぜキリストを知っているクリスチャンが伝えないのか。今こそ世に向かって光を掲げる時だ。いつまでも升の下に置いてはいけない。世界が光を求めているのだから。

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